AJ代表日記をつれづれに書き始めて1年がたちました。
ちょうどいい機会だということと、こちらのサイトのインターフェースを変えたかったので、下記のサイトに移行することにしました。 http://assertivejapan.blog23.fc2.com/ 忙しいとなかなか更新できませんが、少しずつ書きためていこうと思います。 新しい日記も、よろしくお願いします。 森田汐生
肉親に対してアサーティブであろうとすることは、本当に難しいものです。アサーティブネスを“専門”にしている私でさえ、時々自分の「アサーティブネス度」を強烈に意識させられます。
先日4日間の連続講座を終え、そのまま両親のいる岡山の実家に戻ってまいりました。私の父親が認知症、介護度2の状況なのです。介護に疲れた母親の話を聞くことと、父親の顔を見に実家に戻ることを予定していたのですが。 「来週帰るね」と連絡したところ、最初は、「うれしい」と言っていた母親から、帰省の2日前に、「やっぱり帰らないで。私がしんどいし、気を使いたくないから」というファックスの手紙が届きました。 うーん、どうしましょう。 私には母のつらい気持ちが手に取るようにわかりますが、「今」彼女がとてもつらい状況の中で、強引に「帰る!」と言っても喧嘩になるし、だからといって、「わかった、今回は帰らない」と言うことでもないだろうと。 送られたファックスの手書きの手紙を読み、しばらく自分に落ち込む時間をあげたあと、やっぱり伝えるべきことは気持ちだろうと、長い手紙を書きました。 お母さんがつらいという気持ちがよく伝わってきた、でも、私もお父さんとお母さんの顔を見たいのだと、自分ができることをなるべくしたいのだと。 なかなか時間が作れないけれど、できるだけやりくりして今回は帰りたい。でも、帰ってほしくないということであれば、あきらめるけれど。 とっても残念だけれど、いつでも連絡を待っています、と。 そんな内容だったと思います。 翌日、実家に帰る電車をキャンセルし、今回はだめかなあとほぼあきらめておりましたら、仕事中に母親から再度ファックスが届いたと家族が教えてくれました。 母は私の手紙を読んで、これまで我慢していた涙のダムが決壊して、初めて泣いたそうなのです。独りぼっちで闘って一生懸命やっていて、親戚からのサポートも拒絶したくなるほどつらい気持ちでいたのだけれど、私の手紙は彼女の心に届いたようでした。 ということで、再度電車のチケットを取り直し荷物を準備してまっすぐ帰ってきたところです。好々爺になった父がニコニコと子どものように笑う顔を見て、胸が熱くなりながら、顔を拭き体を拭き、そして残り少ないかもしれない父親との触れ合いを大事にしようとしています。 怒ったまま帰って喧嘩をするのでもなく、黙ってあきらめるのでもなく、素直にそのまま自分の気持ちを伝えたら、その気持ちがまっすぐに伝わりました。 本当にこれこそが一番大事なのだと改めて思いました。
アサーティブネスとは“葛藤を引き受けることだ”と前のエントリーで書きましたが、「葛藤する」ということは、「待つ」ということでもあります。つくづく感じるのは、私たち、待つことができなくなったなあということです。
答えがなかなか見つからないことに思い悩みつつ、時間をかけて答えを探し続けること。 人間関係が抱える課題は“すぐに”答えなど出てくるはずなどなく、何ヶ月も何年も、ある場合には何十年もかかって“変化する”ものなのだと思うのですが、アサーティブトレーニングにいらっしゃる方の多くは、なるべくすぐに結果を出したいと切実な思いを抱えていらっしゃる場合が多いようなのです。 これは、ある種「先進国病」なのかなあ、と、ふと思ったりします。 私がフィリピンに滞在中、一番身をもって学んだのは、結果はすぐに出ない、ということでした。 私が郵便局に荷物を取りに行ったときのことです。12時ぴったりに郵便局に到着したにもかかわらず、職員は「昼食休憩」に入ってしまい、ドアはぴたりと閉ざされてしまいました。何事だ、私はお客様だ、わざわざ日本から荷物を取りに来たんだぞと、私は“傲慢”にも、閉まった扉の外からドンドンと大きな音でドアをたたき続けました。 むっとして顔を出した職員に、私は、 「荷物を取りに来ました。日本からのものです。すぐに出してください」 私の剣幕にもめげず、彼が答えたのは、 「わたしはこれからお祈りをするので、1時までは出せない」 ということで、再び扉はガチャンと閉められてしまいました。 結局、私は1時まで、郵便局の別のおじさんとおしゃべりしながら待つことに。 それが最初に、フィリピンで私が「待つ」ことを学んだ体験でした。 その職員にとっては、昼の時間はお祈りをするという大変貴重な時間だったのです。ところが私は、「日本人」の「お客様」であるという立場から「すぐに」対応してもらうことを求めてしまいました。 日本にいれば、電球が壊れたらすぐに取り替えて、パソコンが壊れたらすぐに修理して、何かがなくなったらすぐに補充して、日常生活を続けようとします。 しかし、かの国で学んだのは、壊れたら2,3日、ひどいときは1週間以上も「待つ」ということ。それくらいの悠長さで物事は進んでいき、人間関係もそれくらいの余裕を持って解決に当たるような気がするのです。 それが「良い」とか「悪い」とかということではありません。 ただ、これくらいのスパンで物事を考える余裕を、私たちは忘れてしまっているような気がしてたまらないのです。人間関係が機械のように「壊れる」ことなどないにもかかわらず、あたかも機械のように「壊れた」人間関係を、「すぐに」修理、修復しようとしてしまう。 アサーティブネスはあくまで一つの人間関係の向き合い方であり、立ち方です。じっくりと葛藤しながら、そして希望を捨てないで関わり続けることこそが、長い目で見ての改善につながっていくのではないでしょうか。
4年以上愛用していたモバイルパソコンが、週末にとうとう壊れてしまいました。買った当時は最新型の、ソニーのVAIOC1でした。
先週末、京都から札幌までめまぐるしく移動していて、私のバイオちゃん、なんだか調子悪いなあと思いながら使っていましたが、日曜日の朝、札幌のホテルでとうとうダウン。うんともすんとも言わなくなってしまいました。 このモバイルパソコン、実はもう一つのノートパソコンと一緒に、3年前にフィリピンまで一緒に行った友だちです。東南アジアの高温や高湿度に耐え、移動のたびにカバンの中で揺さぶられ、マニラの空港では何度も「本物かどうか」と立ち上げさせられたこともありました。 帰国後調子を崩したため、ハードディスクを取り替え、バッテリーも取り替え、何度か再インストールを試みたのですが、パソコンといえども結局は“消耗品”。悲しいかな、高価な製品ではありますが、寿命は数年なのですね。 パソコンを日常的に使うようになって10年になります。ノートパソコンもモバイルも、現在自宅で使っているデスクトップのものまでも、なぜかバイオでした。でも、今回引退したC1のバイオには、とりわけ愛着がありました。 「こんなに小さなパソコンは初めてだ」と、フィリピンでものめずらしそうに見つめられ、手から手にわたり、羨望のまなざしを一身に受けてきたC1。“ジャパニーズテクノロジー”の代表選手のように扱われ、中国にもヨーロッパにも同行して、しっかり働いてくれたがんばりやのおちびさんでした。 出張の多い仕事柄、持ち運びのできる小型パソコンが必需品でありますゆえ、昨日あわてて新しいモバイルパソコンを購入しました。ぴかぴかの新しいパソコンも嬉しいのですが、なんだかこのおちびさんを手放すのはちょっぴり寂しいです。 長い間、ご苦労様でした。静かに引退生活を送っていただきましょう。
ヨーロッパの友人に、「私はアサーティブネスを伝える仕事をしています」と説明したら、「あれって、相手を自分の思うとおりに動かして、それをあたかも相手が自分でしたかのように見せるやり方でしょう」と言われました。
「まさか、そうじゃないよ」と、その時は反論しましたが、そういえば、確かにそんな認識が多かったなあということを、ふと思い出しました。 私がトレーナーになるための養成講座を受けていた15年ほど前のイギリスでも、「アサーティブネス」という言葉に対する誤解が、すでにたくさんありました。 「私ね、アサーティブトレーニングのトレーナーになる勉強をしているの」とイギリスでの友人に伝えたとき、「ああ、BOSSY(押しが強く)になる訓練ね」とか、「相手を説得する方法でしょう」とかと言われました。 そうではない、ということを、ここ1、2年、私自身は特に強調しながら伝え続けています。アサーティブネスは、シンプルで実践的で、だからこそ、「キケン」な方法でもあるということ。HOW TO(どう伝えるのか)も確かに大事ではありますが、WHY(なぜ伝えるのか)という本来のコミュニケーションの理念抜きには成り立たない方法であること。 アメリカではすでに当たり前のようになった「アサーティブネス」。でもヨーロッパでは本当に誤解が多くて、だからこそ、「これは相手の権利を侵害しない限りにおいての、自分の権利の主張である」という、本来の意味でのアサーティブネスの「哲学」を、しっかりお話していかなければならないなと痛感しています。 英文で表現すると、アサーティブネスが権利擁護のコミュニケーションであることが、はっきりわかります。 Assertiveness is a behavior which helps us to communicate clearly and confidently our NEEDS, WANTS and FEELINGS to other people without abusing in anyway their human rights.(アサーティブネスとは、自分のニーズや要求、気持ちを、相手の権利を絶対に侵害することなく、はっきりと、自信をもって伝えることのできるコミュニケーションであり態度である。)("Assert Yourself" by Gael Lindenfield) アン・ディクソンの著書、『第四の生き方』の原題は、『A WOMAN IN YOUR OWN RIGHT』です。アメリカでベストセラーになったアサーティブネスのバイブルといわれる本は、邦訳では『自己主張トレーニング』ですが、原題は、『YOUR PERFECT RIGHT』です。 日本で間違った認識でのアサーティブネスが広まっていかないことを、私自身本当に気をつけていこうと思いました。
私はかなりの朝方人間です。毎朝、目覚めるのはきっちり4時45分。5時の目覚ましが鳴る15分前に、毎朝ぱっちり目が覚めます。すぐにコンピューターを立ち上げ、ミルクティーを飲みながら、まずはメールチェック、様々なニュースやブログのチェック、原稿書き、1日の予定その他を、静かな朝の2時間にダーっとやってしまいます。
8時に事務所に到着。掃除を一通り終わらせてから、再び猛烈な勢いで午前中に仕事をして、午後4時頃には一度電池が切れます。 夕方まで仕事の日は、なんとか5時まで持たせますが、自宅に帰り着くやいなや、目はしょぼしょぼ、頭はボーっとしていて、あとはご飯を食べて寝る準備だけ。 こんな風な朝方人間になったのは、3年前にフィリピンに滞在してからでした。その前までは、毎晩夜中の1時2時まで起きていて、睡眠時間4時間くらいで猛烈に仕事をしていました。しかし一度、精神的なストレスで体をこわしてから、人生を考え直し、そしてフィリピンに1年間サバティカルに行ったのです。 フィリピンでは、お天道さまが昇ったら目を覚まし、夜は9時には寝るという生活を1年続けました。そうしたら、もうすっかり体がフィリピンタイムになってしまったんですね。帰国した2年前から、寝る時間と起きる時間がどんどん早くなり、今は10時前には寝息を立てています。 フィリピンで変わったのは、もう一つ。睡眠時間。4,5時間でぶっ飛ばすという生活は、きっぱりやめました。今では、7時間は必ず眠ります。10時前に寝て5時前に起きる。それが、私の体内時計のベストとなりました。 ですので、夜のお誘いは全てお断りしています。せいぜいディナーまで。それでも9時前には失礼しています。ベストはブレックファーストミーティング。朝は比較的機嫌がいいので、お話がある方は、午前中に。夜はだんだん不機嫌になりますので、出来るだけ避けたほうがいいかもしれません。 日記が滞りがちでごめんなさい。7月一杯まで走っています。
ご無沙汰してしまいました。相変わらず仕事で飛び回っております。週末の日曜日は、日帰りで広島まで出張して来ました。
広島でのアサーティブネス紹介講座を担当したトレーナーのKさんは、もう8年くらいのつき合いになる、精神福祉のソーシャルワーカーです。その彼女の現場である尾道のデイケアセンターまで行ってまいりました。 私自身がもともとソーシャルワーカーだったこともあり、アサーティブネスを援助職の方々にご紹介したいと常々考えていますが、とりわけ「権利」という概念は、医療・福祉の分野でもとても重要なテーマだと考えています。 福祉の現場に関わるワーカーが、自分自身の権利を本当に認識し、身につけ、そして自分自身がよりよく生きるためにアサーティブネスを使っていただけたら。そんなことについて、Kさんと行き帰りの車の中で夢中で話をしていました。 十数年前、福祉もまだまだ「マイナー」な分野で、福祉を目指すなんて、活動家かボランティアか、よっぽど変人だというまなざしがありました。かく言う私も、大学卒業後に社会福祉士の資格を取ろうと別の学校に入ったとき、「東京の大学まで行かせて福祉とは何ごとだ」と、両親と大喧嘩になりました。その当時は、障害者の介助もボランティアが主で、「この人の生活を守ろう」というこころざしを持った若者たちが、ひとりの障害を持つ人の自立を支えるという時代でありました。 その頃、「権利」といえばピンと来ました。あきらめないでものを言う権利、あたり前の要求を当たり前に言葉にすること自体が、権利にまっすぐにつながっているという手ごたえがありました。 しかし、ここ最近、福祉に関わる学生たちの授業を担当したりすると、「福祉は仕事が確実にあるから」「かっこいいから」と、十数年前までは考えられなかったような返事が返ってくるのです。その彼らに、「権利」ということと自体を伝えても、本当にピンとこなくて、人が生きることと発言権について、一から教えなければならなくなりました。 なるほど、と、考え込んでしまいます。 社会の認知度があがり、仕事がメジャーになるのはいい。でも、福祉って本当は、サービスの提供を受けるということだけではなく、人間として尊厳をもって生きることの権利保障の側面があったのではないでしょうか。 権利、という大事なメッセージを、学生たちにどんな風に伝えたらいいのか。広島でKさんと話をしながら、今も考え続けています。
先の総会で堤愛子さんが、「あきらめない、ごまかさない、責めない」という話をしてくれました。あきらめないで相手に伝え続けること。自分の気持ちをごまかさないこと。そして相手も自分も責めないこと。
そんなシンプルな当たり前の行為が、周りの状況を変えていくということに感動したのですが、もう一つ、数日してからふと気づいたことがありました。 それは、「ひとごと」であることが、「自分ごと」になる接点についてです。 総会でいくつかあった質問の中で、「間違ったことを言っては、相手に失礼になるのではないでしょうか」というものがありました。 しかし、堤さんは言いました。差別があることを、「見て見ぬふりをされること」が一番つらいということ。言語障害を持つ人は、わかってないのにわかったふりをされることがつらい。車椅子の人は、電車の中で、「どうしてあの人はあんな風なの?」と子どもに聞かれたお母さんが、「黙ってなさい」と言う言葉を目の前で聞くことがつらい。 差別は現実に存在しているのに、そのことをあたかもないかのように、見ないふりをされるのは、直接攻撃されるのと同じくらい差別を助長するというのです。 間違ったことを聞いてはいけないという“優しさ”が、かえって私たちを「こっち側」と「あっち側」に静かに分断するのです。踏み込まない優しさが、かえってお互いの本当の気持ちを遠のかせて、凍らせてしまうような気がします。 でも、本当の理解とは、あえて踏み込み、聞いてみて、間違ってみて、そして話して、そこから学ぶことからしか、到達しえないのではないでしょうか。 と、同時に、「ひとごと」だった問題が、「自分ごと」になるのは、「あっち側」の人間を深く知り、その人を大好きになることが一番シンプルで近道のような気がします。つまり、自分の大好きな人が、苦しんでいる、困っているという事実を知ることが、「ひとごと」を「自分ごと」にする力を持つのです。 私自身、4年間一緒に暮らした障害を持つAさん家族の問題を「自分ごと」にしたのは、Aさんたちが大好きだったから。だからこそ、障害を持つということが「自分ごと」として捉えることになったわけです。 身近な人、大好きな人の問題であることが、「ひとごと」を本当に理解する力になるとする。ということは、身近に本当に大好きな友人を作ること、その人の痛みや悲しみ、喜びに耳を傾けて一緒に分かち合うこと。それが、静かな分断に橋をかけてくれるのではないかと思うのです。
今週号の『アエラ』の記事に、「女の38度線 失敗しない超え方」とあり、思わず笑ってしまいました。
私も、“女の38度線”まっ最中でございます。 去年のヒット用語「負け犬」も同じくらいの年齢女性だけど、「負け犬」がまだまだバリバリ元気な女性のイメージだとすれば、この「38度線」は、「オバサン化」に向けてのおそろしい言葉に満ち満ちているような気がします。 女性ホルモンが減少 「やつれ顔」が固定化 肌ストレスも増加 妊娠の最後のチャンス 38度線は、「負け犬」と「中年負け犬」の境目なのでしょうか(笑)。 「やつれ顔」が固定化、というのは自分にも当てはまっていて、最近とみに疲れた顔になっている自分を鏡で見ては、悲しい気持ちになっていました。体力がガクッと落ちたと感じたのも、38歳になってから。海外旅行の後、以前だったら、翌日からバリバリ働いていたのに、今じゃ1週間くらい体調が悪くてずーっと不調ですし、体重が落ちたら、なかなか元に戻りませんし。 38度線は美醜の分かれ目だけではありません。 「人生の後半戦をどう送るかの分かれ目でもある」と記事は締めくくっています。 そう。30代半ばまでのひた走りの人生は、もうおしまい。まさに、40代を前に「人生の後半戦」をどう生きるのかが、新しい問いとして迫ってきているような気がしています。私自身、30代半ばまでの「必殺仕事人」人生から、自分らしく生きるための人生の優先順位を考えて生きていきたいと思い始めているところだからです。 人生の中で、本当に大切にしたいものは何なのでしょうか。 仕事は人生の中で50%に過ぎません。あとの50%の自分の時間を、どのように過ごすのがいいのでしょうか。アサーティブネスを伝えるというミッションを持ち続けながらも、私自身がどう生きるのか、誰と生きるのか、何を大切にして生きるのかを考える時間が、以前に比べてもずっと多くなったような気がします。 人生の後半戦をどう送るか。まさに、これからの人生の優先順位を、再度自分自身の生き方と照らし合わせながら考えてみたいと思います。
GWをみなさんはどのようにお過ごしでしょうか。
私は、4月29日から3日間、あるNGOの国際会議に出席してきました。15年以上関わっているこのNGOの、4年に1度のアジア会議が日本で開催され、私は参加者兼通訳として行ってきました。日本、アメリカ、中国、韓国、フィリピン、シンガポールなどから約80名が集まり、熱心な話し合いが繰り広げられました。 そこでちょうど、10年来の私の友人である、中国人のジャーナリスト、Cさんと再会しました。いい機会なので、最近の中国の状況について聞いてみました。 「反日デモのことは、日本でもマスコミでかなり大きく取り上げられてきたの。実際、Cさんたちはどんな風に感じて今回日本に来たのか、教えてもらえないかしら」 「聞いてくれて、ありがとう」と、Cさんはさっそく他の7名の参加者と話をしてくれたのです。 翌日、8名の中国人参加者の方々が、直接時間をとって私たちの前で話をしてくれました。 最初に、20代後半の参加者、Gさんが語り始めました。 「私の祖父は、日本軍の731部隊がいた地域の出身で、今回私はハルピンから来ています。 学校では、日本軍がどれほどひどいことをしてきたかという話をたくさん聞きました。だから、日本人のことは好きではありませんでした。 でも、日本の2つの作品を見てから考えが変わりました。 一つは、宮崎駿の『ほたるの墓』、もう一つは、『窓ぎわのとっとちゃん』です。それを見て、ああ、日本でもあの戦争で、たくさんの人が私たちと同じように苦しんだというのを知って、それから、日本のことが嫌いでなくなりました。 今回、日本の歌を覚えてきました。」 そう言って、Gさんは、「さくら、さくらー」と歌を歌ってくれたのです。 Gさんは話ながら泣いていました。聞いている私たちも、涙が止まりませんでした。 More < 前のページ次のページ >
|