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根源的な人間の行為に関わるということ
学生時代からもう15年以上、私は障害を持つ人たちの泊まりボランティアをしています。昨夜は、その中でも長年のつき合いのあるUさんの家に泊まりました。月に1回、彼女のところで夜の介助に入ります。

Uさんは脳性まひです。3人の息子を育て上げ、一番下の息子が二十歳になって家を出てから、ずっと一人暮らしをしています。でも、Uさんの年齢が高くなってからは、徐々にからだが思うように動かなくなってきました。

夜の介助は、結構大変です。
何度も何度も起こされて、寝返り、おしっこ、布団をかけたりはがしたり。
特に彼女が疲れている夜は、1時間ごとに寝返りで起こされることもあります。

「ひっくり返してぇ」
「おしっこぉ」
「水飲ませてぇ」

そうした一つ一つのことに起き上がって、一晩が終わり朝になるころにはぐったりしています。でもUさんは慣れたもんで、朝までぐうぐう眠り続けているのです。

それでも。
食べる、飲む、排泄する、寝返りをうつ、眠る。
そんな根源的な人間の行為に関わるということが、私にとっては欠かせないことなんだと思っています。「ボランティアしてます」なんていう、かっこいい行為ではありません。そんな「善意」なんぞ、とうの昔に卒業しています。実際は、私も疲れている時に起こされると腹も立つし、「もぉ!どーして今おしっこなの!」と、怒りたくもなります。

それでも。
スマートで、きれいで、なにもかもが効率的で「可能」な世界に生きている私にとっては、こうした、食う、寝る、くそをする、という人間のあたり前の行為に関わることで、大事な何かを忘れないでいられる気がするのです。

子育ても、そう。
見取る、ということも、そう。
生きる、という根源的な営みと、日々格闘するということ。
そうしたことを忘れたくなくて、きっと私は関わり続けるんだろうと思うのです。
by assertivejapan | 2005-04-12 09:30 | 汐生の思い
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